城山三郎の「無所属の時間で生きる」という随筆を読みだしたところです。つい先日急に読もうと思ってAmazonで取り寄せた。事実、自分が無所属の身であり、先般の横浜市長選挙の折に田中康夫氏が何かの話の時にこの本を取り上げて話をしていた事が気になっていたこともあります。初っ端の話題に「お叱りの手紙」という作品があります。正月に城山氏が恩師から手紙をもらった事が綴られているのです。
その、恩師はゼミナールの教授で、この教授に対して氏は経済学一辺倒の地味な教授と思っていたところが、哲学、中世文学にも興味を持っていたということがわかり、この1~2年テーマを決めて「二人ゼミナール」を持っていたということが語られています。その教授は当時93歳ということしたけど、上下関係である「師弟」という言葉が好ましくないと思っていて、「同じゼミステン」として接しようという人というところがとても面白く感じられました。
テーマは、経済学だけではなく、社会科学を学んだ者にとっての無常とか日本と欧米の無常の捉え方の違い等の話題が記されています。そして正月に教授の滞在しているホテルを尋ねた折に、号外で知った「村山首相退陣」ニュースを耳のやや遠い教授に伝わり辛かった為、筆記で伝えたというのです。そこでのそれやこれやのやり取りがあり、その日はそこでの「二人のゼミナール」は終わったとあります。教授としては、無常感について話足りず特に反論もされなかったので残念だったとした上で、
「専門という世界で個人的意見が互に切磋琢磨するのと違って雑談的に受け入れた世間の常識を持ち寄る会話は、私の言う多元的価値の批判的民主的議論とならず、不満を残すのでしょう」
との手紙をホテルの便箋に記して郵送してきたということでした。「雑談的」は教授の嫌いな表現の1つで、一々、骨に響く言葉と氏は述べています。他の一橋大の学長ら数人でやっていた学長ゼミナールも「まるで雑談みたいだ」と解散になったということと書かれています。
城山氏は、お詫びと西行や村山首相等についての所感や意見などを記して、早速返事を書き、雑談的であったかなと思いながら投函したと述べています。教授は、正月も年齢も体調も関係なく一日でも一時間でもはりつめ大切に生きようということなのかと感じた様なのです。
その「お叱りの手紙」からは「凛としたものが匂い立ち、こちらまで元気が出てきそうであった。叱られて、いよいよ嬉しくなる手紙であった。」と締めくくられています。
この「無所属の時間で生きる」という作品の冒頭からとてもいい師弟関係の素晴らしさを感じました。
最近、何事もネットで済ませる風潮の世の中。筆をとる機会は年賀状の一言と、なにかをノートやメモ帳にメモる時ぐらいの事です。何日か前から、しばらく会っていない友人に手紙でも書いて近況を聞いたり伝えたりゆったりとした時間をとってみようかと思っていた矢先にこの短編に出会ったところです。
まずは、私も大学時代の恩師に書いてみようと思い、先ほど筆ならぬボールペンをとりました。できれば筆は無理にしても万年筆で書こうと思いました。しかし、学生時代に購入したパーカーの万年筆があるのですがカートリッジがないために買いに行くか、ネットで購入しなければならなく、書こうという気になったときがその時だと思いボールペンで書く事にしました。一通り封書の作法に則って書いて封をすると何かちょっとすっきりとしたというか清々しい気持ちになりました。ワープロで打込む文字とは同じ文字でも違った味わいがします。久々の手紙でしたがいいものだなと改めて思いました。
アイキャッチ画像 Photo credits. John Atherton
(イメージ画像です)
米国ニューハンプシャー州フランセスタウンからマサチューセッツ州ノース・チェルムスフォードへの手紙(1856年2月
封筒に同封された手紙は、1856年2月24日から2月27日の間に作成されたもので、フランセスタウンでの麻疹の流行について書かれています。
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