1940年の東京五輪は中止された。戦争の為だ。この時は主に軍部の反対で中止になったらしい。2021年の東京五輪は多くの国民が反対したが菅、小池によって強行された。コンパクト五輪の名のもとにおよそ7,000憶円での開催といわれていたが、なんと最終的には6倍近い4兆円規模になろうとしているようだ。
反対を押し切ってコロナによる犠牲者を大量に出しながらも強引に開催した東京五輪。当然、安倍、菅、小池の責任は重い。亡くなった命も蘇ることはない。それに加えて、ここまで膨らんだ後の超過費用等のつけは政治家たちは当然のように知らん顔。自腹などではないからだ。無責任の積み重ねの上に電通の様に巨額の収益をむさぼった企業もある。史上空前の利益らしい。結局は毎度のこと、いつか来た道、負担は都民に、恐らく都民だけで賄いきれない場合には国民にも税負担の形で転嫁されてくる。散々貪り食われた挙句、祭りの後の支払いだけが庶民に回ってくる構図。
どうせなら、冒頭の幻の1940年東京五輪の様に幻のままに葬ってほしかった。そしてコロナ対策に集中していれば、あの感染者投げ出し自宅放置策による絶望死、孤独死等をかなりの数助けられたと思う。それこそ後の祭り。
幻の東京五輪は次の様に中止になったようだ。
1940年東京オリンピック(1940ねんとうきょうオリンピック)は、1940年(昭和15年)9月21日から10月6日まで日本の東京府東京市(現・東京23区)で開催されることが予定されていた夏季オリンピックである。1940年東京オリンピック(1940ねんとうきょうオリンピック)は、1940年(昭和15年)9月21日から10月6日まで、日本の東京府東京市(現・東京23区)で開催されることが予定されていた夏季オリンピックである。史上初めて欧米以外の、アジアで行われる五輪大会、そして紀元二千六百年記念行事として準備が進められていたものの、日中戦争(支那事変)や軍部の反対等から日本政府が開催権を返上、実現には至らなかった。当時、アジアにおける数少ない独立国で、かつ「五大国」の1国である日本の首都東京での開催は、1936年(昭和11年)の国際オリンピック委員会(IOC)で決定した。その後、開催の準備が進められたが、日中戦争(支那事変)の勃発や、物資や兵士を取られる軍部の反対などから、日本政府は1938年(昭和13年)7月にその実施を返上した。1940年大会の代替地として、オリンピックの招致合戦で東京の次点であったヘルシンキが予定されたが、第二次世界大戦の勃発によりこちらも中止となった。なお、ヘルシンキは1952年(昭和27年)に東京に先んじて開催を実現した。第二次世界大戦後、日本は1960年(昭和35年)の夏季大会に東京を開催地として再び立候補したが落選した。しかし、次の1964年(昭和39年)の夏季大会に当選した。これはアジアで初のオリンピック開催となった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国民の1人としてほとんど見ていない五輪のつけという税金は払いたくないものだ。オーバーした五輪の残債は、賛成した自公野党も含む政治家と賛助企業で支払っていただきたいものだ。
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